くれなゐの雑記

例を上げて 自分で手を動かして学習できる入門記事を多めに書いています

人にわかりやすく物事を伝える

はじめに

生きていると物事を伝えることが求められることがあります。それは論文であったり、ブログであったり、はたまた面接であったり様々な形で求められます。そこで多くの人がこのようなレビューを受けるのではないでしょうか

「わかりにくい。素人でもわかりやすいようにしてほしい」

一方であなたは心の奥底でこう思うかもしれません(あるいは言ってしまうかも。)

(この話を聞くための前提知識を知らない人に教えることは無理)

このような要求を飲もうとすればするほど資料が長くなり、今度は 「長いから聞きたくない」 と言われるようになり、しかし初心者向けにしすぎると既存資料と同じ内容になってしまったり、厳密性を損なってしまうことも多々あります。

一般に、「短時間で誰でも分かる説明」と「内容の難しさ」はトレードオフの関係にあり、どちらかを取ればどちらかを犠牲になります。そのような中で

「内容はそのままでわかるようにしてほしい」

という要求は無理があるのです。自分も YouTubeをやっていて ありがたいことに多くの人に見てもらっている以上、「内容が難しい」という声を聞くことは少なくありません。

様々な場面で求められる「わかりやすい説明」に対してどうアプローチすればよいのか、自分なりの考えがあるので今日はそれを記載します。

物事を伝える上での3要素

自分は物事を伝える上で、以下の3要素を常に考えています。

  • なぜ自分はそれを伝えるのか
  • 聞く対象は誰か
  • 対象は聞いた後どのような状態になって欲しいのか

重要なのは聞き手目線になることで、「話し手が伝えたいから」 という観点は基本的にノイズになります。例えば、「ここで苦労したから感情をシェアしたい」 という欲求はよくあると思うのですが、聞き手の気持ちになって 「聞き手はこういう要素に興味があるだろうから話そう」 であったり、 「聞き手にこういう要素があるのでこの検証は再現が難しく新規性があることを伝えよう」 であったり、伝えたいことを聞き手目線に変換して上げることが重要です。

また聞き手目線の気持ちになりすぎて、伝える目的を忘れてはなりません。物事を伝えるという労力をかけているのですから、「その対価として何を得たいのか」は忘れないようにしましょう。
(例えば専門家にレビューしてもらって正当性を判断する、であったり専門外の人の意見を聞いて新たな観点を得るだったり、面接に合格するだったり。)

「わかりにくい」と言われたときに犠牲にするもの

ここで「わかりにくい」と言われたとき、伝える技量には限りがあるので、何かを犠牲にする必要があります。大きく分けて2つの戦略を取っています。

  • 聞く対象を限定する: 「わかりにくい」といった人を対象外とする
  • 聞いた後の状態のハードルを下げる

聞く対象を限定する際は、「それが適切か」を検討する必要があります。発表中に聞く人が一人も理解できなければ発表する意味もないですし、面接等で専門外の人に説明するときに高度な前提知識を要求してもしかたがありません。
ただし聞く対象が多ければ多いほうがいいのは間違いないので、「あなたは前提知識がない」と突っぱ過ぎないようにも気をつけましょう。

ハードルを下げる方向に関しては、例えば物事を伝える上での「結果だけ」を伝えることで簡単に「結果」は伝えることはできますよね。よくニュースやX(旧Twitter)で見る「どこそこ大学の研究室がこういうことができた(具体的な内容には言及しないし多くの人はみない)」といった形式は、多くの人にもわかってもらえます。
しかし残念ながらあなたの設定した「対象」は結果だけを求めている場合もあれば、それの何が嬉しいかを求めている場合もあれば、その証明を求めている場合もあります。
これらを両立して満足させるために、「動的に内容を難しくする」という手段があります。

最初は誰でもわかるように→途中からは段々と難しくしていく

といったように。発表等であれば「これを聞きたい人はここまで聞いてほしい。ここからは分からなくて問題ない」というラインが 聞き手にとっても わかりやすいと良いですね。こうすることで「聞き手の求めていることに対するわかりやすさ」と「説明する難易度」をある程度両立できることが多い気がします。「全部わからなくていいんだよ。」というのをうまく伝えられるといいですね。

あなたが「わかりにくい」と言うときは

あなたがレビューをする立場の場合、「わかりにいからわかりやすくしてほしい」というコミュニケーションは 聞き手視点 にとって大変つらい要求であることがわかったかと思います。また伝わる伝わらないは0,1のバイナリーではなく、40%くらいは伝わっているのような状態もありえます。

では 聞き手の気持ちになって 「わかりにくい」 を伝えるためにどうすればよいでしょうか。

聞く対象者の認識を合わせる

レビュワーと執筆者で聞く対象の認識のズレはよくあります。「この資料を聞く上で必要な前提知識は何になりますか?」「この資料は誰が聞く想定ですか?」とまずはどのような人が聞くのかの認識を合わせましょう。

執筆者の「伝える意図」や「聞き手の最終的な状態」の認識を合わせる

ここもよくズレます。執筆者は「正しさ証明したいので厳密な証明や手順を紹介したい」と思っているのに対し、レビュワーは「成果をアピールしたいので結果を伝えられれば十分だ」と感じていれば不毛なレビューになると思います。特にレビュワーの立場が上であれば、執筆者は機械的にその通りに修正してしまうこともよくあるので、全員が資料に対して納得できる前提のすり合わせをしましょう。

どこがわかりにくいか言語化する

「わかりにくい」とは様々な要素に起因して発生します。自分がよくする指摘は以下のとおりです。

  • 何を伝えたいのかわからなかった / 何を意図しているのかわからなかった
  • 必要な前提知識を説明していないので内容が理解できなかった
  • 日本語がおかしい(主語が存在しない、主述関係がおかしい、接続詞がおかしい)ので主張が理解できなかった
  • 内容が正しくない
  • 事実か仮説かわからない
  • タイトルと内容が一致していない(そのスライドの伝えたいと思われる内容が理解できなかった)

特に最初2つに関しては自分では気づきにくい要素で客観的意見が必要になります。みんな知ってると思ってたけど実はマイナーだった。なんてことはよくありますよね。
また知らず知らずのうちに、感情的に自分が面白いと思い物事を伝えてしまうこともよくあります。対象とする聞き手がそれを楽しいと思ってくれるならいいのですが、そうでないのでただただ自分の好きなことを喋るだけのアレな人になってしまいますね。

あなたが「わかりにくい」と言われたときは

あなたが「わかりにくい」と言われたときは、逆に↑の内容をレビュワーとすり合わせましょう。

人にわかりやすく物事を伝える

聞き手を絞ったり、ハードルを下げたりするのは仕方がない場合であり、同じ聞き手、同じ内容、同じ時間で伝えられると良いことに間違いはありません。

厳密な証明や形式的な内容に関しては避けにくいかもしれませんが、提案手法のメリットなどは多くの人に伝えられるべきであり、また正しい日本語や正しい図を用いることでそれを広げられる可能性があります。

どうしても自分の感情が邪魔してしまい、「聞き手の気持ちになる」ことは人間にとって難しいことで、一朝一夕にできるようなことではありません。

発表や面接、論文だけではなく、日頃の友達とのコミュニケーションなどでも「物事を伝える機会」は多く訪れます。
「自分が楽しい」だけではなく、「聞き手が楽しい」と思える時間を作れるように努力することでこういった能力が身につくのではないかと考えています。お互いに取ってお互いが楽しいと思える関係性を作れるといいかもしれませんね。

またこういったスキルの積み重ねが、多くの人や企業が評価する「コミュニケーション能力」というやつなのかもしれません。